高木と高ノ木神社(姫路市教育委員会)


 奈良時代に編纂された『播磨国風土記』の「飾磨郡小川里(しかまのこおりのさと)条「高瀬村(たかせむら)」が高木の地と推定されている。
法華山から書写山に向かう巡礼道が通り石積山麓の北、松瀬(松ヶ瀬)で渡しになっていた。
松瀬には当村はじめ九ヶ村が水掛かりの花田井の樋門がある。
石積山は江戸時代の『播磨鑑(はりまかがみ)』に「高木古城跡」として「親方仁(御屋形陣)」の呼称を伝え、応仁の乱で播磨に入国した赤松政則が陣を構えた「石積城」「石積陳(陣)」と考えられる。
『蔭涼軒日録』長享元年(1487年)閏11月29日条に石積城中一室で赤松政則の亡父33回忌の貴賓への対応を記す。高木の村名は17世紀初頭の慶長年間に現れ、高木三社といって、高木鞣(白鞣)の祖とされる聖神(ひじりのかみ・聖翁)を祀る聖神社(聖宮、南の宮)、明治七年村社に列せられ須佐ノ男神(すさのおのかみ)を祀る大将神社(大将軍神社、中の宮)、菅原道真を祀る天満神社(天神社、北の宮)があった。聖神社は大将13年地区改正事業に際し大将神社に合祀、さらに昭和39年天満神社に合祀され高ノ木神社となった。
地元では高乃木神社といい聖神・須佐ノ男神・天神の三座を祀り、境内社に菅原稲荷大神がある。境内には明治2年大阪問屋中の寄進した鳥居と石灯籠、昭和2年の力石があり、力石奉納額が拝殿に掲げられている。